筒井康隆作品を読む 夏

早々に読みたかった【残像に口紅を】の貸出が遅れています。何だか人気再燃らしい。

さしあたり読める本から読みました。

 

【ダンヌンツィオに夢中】

中々に厚みのある本だけど、前半がダンヌンツィオに夢中(三島由紀夫論)後半は断片的な随想、評論、書評をまとめたもの。

ダンヌンツィオも三島由紀夫も実のところよく分からない、前者はイタリア映画「イノセント」(監督ルキノ・ヴィスコンティ)の原作者でもあるノーベル文学賞受賞者として、後者は自主製作映画「からっ風野郎」で主演(ラストシーンがコクトーの「双頭の鷲」へのオマージュのように見える)自衛隊市ヶ谷駐屯地にて事件を起こした昭和の文豪という程度の認識はある。

そんな中で筒井康隆の緻密なガイドとともにダンヌンツィオと三島の生活や意見や死にざまを追体験するのは何だか恐ろしくもあったが、筒井氏が三島の演説のソノシートを持っていてその音源どおりに文字に起こしているというのが妙な臨場感を醸し出している。政治家でもあったダンヌンツィオは70代まで生きたがその晩年は失意の日々だったようで、三島は念を燃やし尽くすように40代で散った。彼ら二人の様な人生を望むかと問われると全くそうは思わない。

 

追記 後半の書評、評論に登場した文学作品にも興味が出てきたので、忘れないうちに書き留めておきたい。

ミシェル・トゥルニエ『オリエントの星の物語』川又千秋『人形都市』筒井康隆『虚航船団』

戯曲の上演準備の日々を綴った『スタア』稽古場日記では、用あってタモリに会い歓談する場面や芸能界のおかし味が満載。なので『スタア』を早く読みたい。

 

【ロートレック荘事件】

乾くるみ(だいぶ後になって男性作家だと知った)がひと頃「真相を知るには二度読まないといけない」小説を発表してました。いわゆる叙述トリックという手法を効かせているのだけど、二度目は真相が分かりつつも何故か途中で飽きてしまうので、自分はミスリードものとかアンチミステリの面白さが分からないんだろうと諦めていた。あれから十数年、何でロートレック荘事件を読んで来なかったのかと猛省。私にはこれとトレント最後の事件を読めば充分だったよ。と膝を打った。

今作のカヴァーデザインは深夜特急などで知られる平野甲賀。題字がシャープでソリッドなところがまた乙。

なおロートレックの作品が数点、挿画として不穏な彩光を放っている。

 

筒井康隆全集

1960年代から1980年代までの短編、中、長編小説、随想や評論も収められていて全24巻に及ぶ。出版は新潮社。山藤章二による筒井氏のキャライラストは小紋柄のよう、なにかの記号にも見えるそれは本の表裏に幾何学的に散りばめられていてモダンな図案だ。

【堕地獄仏法】では新興宗教をバックに権勢をふるう政党に支配される民の恐怖をユーモラス&グロテスクに描き【末世法華経】に於いては日蓮宗の始祖が現代にタイムトリップ。イエス・キリストはキリスト教徒じゃない感を痛感しながら絶望するアイロニカルな様をやはりユーモアを交えて描く。

【トンネル現象】時々カメラを触る者としては、写真の四つ角が黒っぽくぼやけるトンネル効果のことをまず連想したのだけど、今作は異次元に出入りが自由自在な魔法のトンネルを乱用する男の末路が馬鹿馬鹿しくも哀しい。例えば片桐安十郎(ジョジョの奇妙な冒険第4部)や壁抜け男(byマルセル・エイメ)と同じくらいシュールで可哀相。(以上第2巻より)

【公共伏魔殿】では公共放送局と芸能界の暗黒と飽和と混沌を、洒落になるかならないかClose to the edgeの筆致で語る。(第3巻より)他にも沢山の短編、ショートショートを読むと話の終わりに(SFマガジン〇月号)と記されていてハヤカワのSF黎明~隆盛のただ中にあった作家なのだと改めて思い知る。

この巻末に扇田昭彦氏の丁寧な解説が付いていた。作者と旧知の仲とは知らずとても驚く。

 

私は扇田先生の演劇番組が好きだった。それこそ某公共放送局のBS番組でしたが。

①作品の紹介 ②演出家、俳優へのインタヴュー ③舞台劇の放映

という贅沢なコンテンツがひと番組に練り込まれていた。

 

インタヴュー中の会話に登場する演劇人も多士済々。河竹黙阿弥、新派の水谷八重子、文学座の杉村春子、新劇の千田是也、新国劇の島田正吾、ギリシャ悲劇、ラシーヌ、モリエール、シェイクスピア、芥川、寺山、蜷川、串田、野田、三宅、鴻上、三谷etcと枚挙に暇がない、ありとあらゆる芝居に細やかな眼差しを送り、特に昭和と平成の舞台演劇を私たちに紹介して下さった。今の司会者の如き饒舌で強引な印象はなく、静かに相槌をうちながら空気を途切れさせることなく会話を上手に誘導していた記憶がある。物腰の柔らかさか人徳なのか、あまり自分の言葉で話したがらないゲストから面白いエピソードを引き出してもいた。元宝塚の麻美れいや大浦みずき、解散を控えていた劇団カクスコの座長中村育二が招かれた神回も忘れがたい。大浦みずきも扇田先生ももう既に他界している。懐かしさのあまりつい話が脱線してしまった。

 

 【文学部唯野教授】奇妙な人間関係、非人道的な慣習の波に揉まれながら、閉鎖的学究界の中で生き残りをかけて戦ったり戦わなかったりする男、唯野仁。読後感はなぜか爽やか。彼を取り巻く世間や人間を見て、トニオ・クレーゲルやヘルマン・ヘッセのデミアンやペーター・カーメンチントや、マルタン・デュ・ガールの灰色のノートや少年園の少年たちが重ね合わさってきてこれも驚いた。ただし若者や学生ではなく、教授たちが葛藤と相剋を超えて成長してゆくビルドゥングスロマンとして面白く読んでしまった。と言ったら作者は憤慨するだろうか。

 

【美藝公】1982年の発行とある。原田知世の「時をかける少女」が公開される前年のことだ。或いは「ねらわれた学園」が薬師丸ひろ子らによって映画化された翌年とも言う。

これもまた面白い世界。戦争を経て日本は経済大国ではなく映画産業大国へと成長を遂げる。高僧のように思慮深く貴族のように優雅。男気と才能に溢れ美しい男。彼は俳優、歌手、映画プロデューサーと一人何役もこなすスーパースターであり、美藝公という日本において最高位の称号をまとうのである。

筒井康隆が創造したもうひとつの戦後日本社会、こうした虚構でも現実に在って欲しいと思わせてくれる華やかなユートピアだ。と同時に今のディストピア世界が嫌でも浮き上がってくる。

それとも、なにがユートピアでディストピアなのかは人によって違うのだろう。